縄文時代早期
日本列島の旧石器時代の人々は、大型哺乳動物や中・小型哺乳動物を狩猟対象としていた。大型の哺乳動物は季節によって
広範囲に移動を繰り返すので、それを追って旧石器時代人もキャンプ生活を営みながら、頻繁に移動を繰り返していた。キ
ル・サイトやブロック、礫群、炭の粒の集中するところなどは日本列島内で数千カ所も発見されているが、竪穴住居などの
施設をともなう遺跡は、ほとんど発見されていない。
旧石器時代の人々は、更新世の末まで、キャンプ生活・遊動生活を営みながら頻繁に移動生活を繰り返してきた。そして、
旧石器時代から縄文時代への移行期である草創期には一時的に特定の場所で生活する半定住生活を送るようになってた。縄
文早期になると定住生活が出現する。鹿児島市にある加栗山遺跡(縄文時代早期初頭)では、16棟の竪穴住居跡、33基の煙
道つき炉穴、17基の集石などが検出されている。この遺跡は草創期の掃除山遺跡や前田遺跡の場合と違って、竪穴住居跡の
数の大幅な増加、住居の拡張、重複した住居跡、これらの住居跡やそのほかの遺構が中央広場を囲むように配置されている
。
加栗山遺跡とほぼ同時期の鹿児島県霧島市にある上野原遺跡では46棟の竪穴住居をはじめ多数の遺構が検出されている。こ
のうち13棟は、桜島起源の火山灰P-13に覆われていることから、同じ時に存在したものと推定できる。そして、この13棟は
半環状に配置されていることから、早期初頭には、既に相当な規模の定住集落を形成していたと推定される。
縄文早期前半には、関東地方に竪穴住居がもっとも顕著に普及する。現在まで、竪穴住居が検出された遺跡は65カ所、その
数は300棟を超えている。そのうちで最も規模の大きな東京都府中市武蔵台遺跡では24棟の竪穴住居と多数の土坑が半環状
に配置されて検出されている。
南関東や南九州の早期前半の遺跡では、植物質食料調理器具である石皿、磨石、敲石、加熱処理具の土器も大型化し、出土
個体数も増加する。定住生活には、植物質食料、特に堅果類が食料の中心になっていたと想像されている。そして、南関東
の定住集落の形成には、植物採集活動だけでなく、漁労活動も重要な役割を果たしていたと考えられている。
一方、北に目を転じれば、北海道函館市中野B遺跡からは縄文早期中頃の500棟以上の竪穴住居跡、多数の竪穴住居跡、土壙
墓、陥し穴、多数の土器、石皿、磨石、敲石、石錘などが出土し、その数は40万点にも上っている。津軽海峡に面した台地
上に立地するこの遺跡では、漁労活動が盛んに行われ、長期にわたる定住生活を営むことが出来たと考えられる。 また、
東海地方の早期の定住集落、静岡県富士宮市若宮遺跡は28棟の竪穴住居をはじめとする多数の遺構群とともに、土器と石器
が18,000点ほど出土している。この遺跡が他の早期の遺跡と大いに違い点は、狩猟で使用する石鏃2168点も出土したこと
である。富士山麓にあるこの遺跡では、小谷が多く形成され、舌状台地が連続する地形こそ、哺乳動物の生息に適した場で
あった。つまり、若宮遺跡では、環境に恵まれ、獲物にも恵まれて定住生活を営む上での条件がそろっていたと推定される
。
移動生活から定住的な生活への変化は、もう一つの大きな変化をもたらした。その変化はプラント・オパール分析の結果か
ら判明した。一時的に居住する半定住的な生活の仕方では、周辺地域の開拓までに至らなかったが、定住的な生活をするよ
うになった縄文時代人は居住する周辺の照葉樹林や落葉樹林を切り開いたことにより、そこにクリやクルミなどの二次林(
二次植生)の環境を提供することとなった。定住化によって、縄文人は、集落の周辺に林床植物と呼ばれる、いわゆる下草
にも影響を与えた。ワラビ、ゼンマイ、フキ、クズ、ヤマイモ、ノビルなどの縄文人の主要で、安定した食料資源となった
有用植物が繁茂しやすい二次林的な環境、つまり雑木林という新しい環境を創造したことになる。縄文時代の建築材や燃料
材はクリが大半であることは遺跡出土の遺物から分かり、縄文時代の集落の周辺にクリ林が広がっていたことも確かである
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
このようにわれわれ日本人は進化していったのですね。
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